世界へ羽ばたくなんちゃって初心者ちゃん。 FF14 こちらしか更新していないのだから、「こっちばかりやっている」と思われてしまうかもしれないが、メインのほうもメインのほうで、一応デイリーとして「50ルーレット」と蛮族クエストだけは行っている。 だが、毎日同じことを繰り返しているだけなので、当然変わり映えもしないし、記事として成立しないのだから仕方がない。「日々、変化がないことこそが『平和』の象徴である」のであろうが、毎日同じことを書いていても面白くないこと請け合いである。決して、「平和」を願っていないワケではない。 さて、1から始めて思うのは、やはり「確実に」レベルが上がりやすくなっている。前回は「体感的に」だったのが、「確実に」思うようになった。「疑惑」が「確信」に変わる節目に出会えたことこそが重要なのであり、大切なのだと強く主張したい。 これまでは次の「クエスト」を受けるのに、時々レベルが足らずに受けられないこともあった。この場合、手帳なりF.A.T.Eなりであげる必要があったが、それがないだけでも話がスムーズに進んでくれるので、ボクのようなナチュラルボーン「めんどくさがり」には、非常に快適である。 また、「クエスト」のひとつに「IL5以上の装備を着て来い」といったものがある。当然、「クエスト」報酬か、店売り品を買って達成しなければならない。 何がひどいかといえば、これらの装備には「ワケの変わらない色が塗られている」のである。頭は「赤」、同は「青」、パンツは「黄」といった具合であり、その恰好でしばらく過ごさなければならない。これはまさに「羞恥プレイ」である。 「そんなものは誰も見ていないし、気にしていない」との声もあろうが、そんな恰好をしている冒険者を一番見ているのは、画面の前に座るこのボクなのである。気にならないわけがない。だが、そんなことは些細なことである。もっと深刻なのは、冒険をしている彼女は「女性」なのだということである。彼女に恥をかかせるわけにはいかないのである。 「クエスト」を受注して、「はあ~、買いに行かないと……」と思っていたら、すぐに「クエスト」が達成となっていたので驚いたのだが、まさかそんな仕様になっていたとは思わなかった。 この仕様が、「恥ずかしい恰好をして平然と街を闊歩し、何の躊躇もなく恥ずかしい恰好でムービーに登場する」といった「羞恥プレイ」に対する、開発側の回答なのであり、「光の戦士に恥をかかせてはいけない」という慈悲なのである。実際のところは知らないが。ここまでの恩情に、ボクも全力で応えなければならない。これはプレイヤーとしての矜持である。「サスタシャ」が解放されるまでは、もう防具は初期装備だけでいこうと決めた。新しく始める人には決しておすすめしない。 「クエスト」を適当にこなし、とりあえず目についた手帳の討伐対象を倒し、通り道にF.A.T.Eが沸いたらこなす、といったやり方で進めているのだが、手帳やF.A.T.Eは必要ないのかと思うぐらい、「メインクエスト」で経験値がもらえるようだ。「クエスト」の受注レベルを自然と上回っている事態になっている。 すでに「サスタシャ」に行けるLv.15になっているのだが、いまだ「ウルダハ」から出られない。だが、クラスクエストは受けられるので、受けてみた。感想としては、「敵が死なない。戦闘が長い」ということである。それでも、初期装備を脱ぐわけにはいかない。NPCにNPCを倒してもらいながら、なおかつ「ケアル」などで庇護される「光の戦士」。NPCの方々からも、「光の戦士」として十分な期待を受けていることがうかがえる。決して、ボクが「初期装備だから」という理由以上に、「この庇護こそが、期待の表れ」なのである。 「クエスト」も順調に進み、やっと「ウルダハ」から出て、世界を見てくる許可がおりた。とりあえず一通りのチュートリアルが終わったということであろうか。否、このゲームはカンストしてからが本番。Lv.50までは、壮大なチュートリアルなのである。 やり始めて感じたのは、あまりしたことがないクラス(ジョブ)をする場合、こう改めて「ストーリー」を追いかけながらレベル上げするのは、ある程度モチベーションが保てるということである。メインキャラで様々なクラス(ジョブ)のレベルもあげることはできる。だが、単純な「レベル上げ」は明確な作業感を伴う。適正レベル帯のIDをひたすらくるくると回ったり、F.A.T.Eをこなしたり、やり方はさまざまであるが、「同じことを繰り返す」という上では変わらない。これには、さすがにボクの強靭な精神も、もろく崩れてしまうのである。決して、「めんどうだ」などという一言で片づけてはいけない。 だが反面、おもうのは「さすがに3周目とかは、やらない」ということである。 不浄、不定、不測……。 この世界は、あまりに狂っている。 More from my site「謎めいた○○」集め。今更ながら、ヴォイドアーク。なんちゃって初心者。ウルダハへ。初心者のふりして「外伝」始める。アニマウェポンを作る。突如、ブログを始める。 Tweet Pocket Author: helio Shinryuサーバーで、ララフェル召喚士として、がんばると決めた! 「FF14 BLOG ANTENNA」の運営もがんばっちょりまっする! 2016年1月25日 0
世界へ羽ばたくなんちゃって初心者ちゃん。
こちらしか更新していないのだから、「こっちばかりやっている」と思われてしまうかもしれないが、メインのほうもメインのほうで、一応デイリーとして「50ルーレット」と蛮族クエストだけは行っている。
だが、毎日同じことを繰り返しているだけなので、当然変わり映えもしないし、記事として成立しないのだから仕方がない。「日々、変化がないことこそが『平和』の象徴である」のであろうが、毎日同じことを書いていても面白くないこと請け合いである。決して、「平和」を願っていないワケではない。
さて、1から始めて思うのは、やはり「確実に」レベルが上がりやすくなっている。前回は「体感的に」だったのが、「確実に」思うようになった。「疑惑」が「確信」に変わる節目に出会えたことこそが重要なのであり、大切なのだと強く主張したい。
これまでは次の「クエスト」を受けるのに、時々レベルが足らずに受けられないこともあった。この場合、手帳なりF.A.T.Eなりであげる必要があったが、それがないだけでも話がスムーズに進んでくれるので、ボクのようなナチュラルボーン「めんどくさがり」には、非常に快適である。
また、「クエスト」のひとつに「IL5以上の装備を着て来い」といったものがある。当然、「クエスト」報酬か、店売り品を買って達成しなければならない。
何がひどいかといえば、これらの装備には「ワケの変わらない色が塗られている」のである。頭は「赤」、同は「青」、パンツは「黄」といった具合であり、その恰好でしばらく過ごさなければならない。これはまさに「羞恥プレイ」である。
「そんなものは誰も見ていないし、気にしていない」との声もあろうが、そんな恰好をしている冒険者を一番見ているのは、画面の前に座るこのボクなのである。気にならないわけがない。だが、そんなことは些細なことである。もっと深刻なのは、冒険をしている彼女は「女性」なのだということである。彼女に恥をかかせるわけにはいかないのである。
「クエスト」を受注して、「はあ~、買いに行かないと……」と思っていたら、すぐに「クエスト」が達成となっていたので驚いたのだが、まさかそんな仕様になっていたとは思わなかった。
この仕様が、「恥ずかしい恰好をして平然と街を闊歩し、何の躊躇もなく恥ずかしい恰好でムービーに登場する」といった「羞恥プレイ」に対する、開発側の回答なのであり、「光の戦士に恥をかかせてはいけない」という慈悲なのである。実際のところは知らないが。ここまでの恩情に、ボクも全力で応えなければならない。これはプレイヤーとしての矜持である。「サスタシャ」が解放されるまでは、もう防具は初期装備だけでいこうと決めた。新しく始める人には決しておすすめしない。
「クエスト」を適当にこなし、とりあえず目についた手帳の討伐対象を倒し、通り道にF.A.T.Eが沸いたらこなす、といったやり方で進めているのだが、手帳やF.A.T.Eは必要ないのかと思うぐらい、「メインクエスト」で経験値がもらえるようだ。「クエスト」の受注レベルを自然と上回っている事態になっている。
すでに「サスタシャ」に行けるLv.15になっているのだが、いまだ「ウルダハ」から出られない。だが、クラスクエストは受けられるので、受けてみた。感想としては、「敵が死なない。戦闘が長い」ということである。それでも、初期装備を脱ぐわけにはいかない。NPCにNPCを倒してもらいながら、なおかつ「ケアル」などで庇護される「光の戦士」。NPCの方々からも、「光の戦士」として十分な期待を受けていることがうかがえる。決して、ボクが「初期装備だから」という理由以上に、「この庇護こそが、期待の表れ」なのである。
「クエスト」も順調に進み、やっと「ウルダハ」から出て、世界を見てくる許可がおりた。とりあえず一通りのチュートリアルが終わったということであろうか。否、このゲームはカンストしてからが本番。Lv.50までは、壮大なチュートリアルなのである。
やり始めて感じたのは、あまりしたことがないクラス(ジョブ)をする場合、こう改めて「ストーリー」を追いかけながらレベル上げするのは、ある程度モチベーションが保てるということである。メインキャラで様々なクラス(ジョブ)のレベルもあげることはできる。だが、単純な「レベル上げ」は明確な作業感を伴う。適正レベル帯のIDをひたすらくるくると回ったり、F.A.T.Eをこなしたり、やり方はさまざまであるが、「同じことを繰り返す」という上では変わらない。これには、さすがにボクの強靭な精神も、もろく崩れてしまうのである。決して、「めんどうだ」などという一言で片づけてはいけない。
だが反面、おもうのは「さすがに3周目とかは、やらない」ということである。
不浄、不定、不測……。
この世界は、あまりに狂っている。
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