劃期的カジュアライズ FF14 随分と更新期間があいてしまったのではあるが、すべては「ゴールデンウィーク」が悪いのである。ボクに罪ははない。 では、「ゴールデンウイーク」は何をしていたかというと、部屋の片づけをしていたり、遊びほうけて家に帰ってこなかったり、体調を崩して寝込んだりと、実に充実した「人間活動」ではあったものの、「エオルゼア」を十二分に救えていなかった。 どうやら、ボク自身は「普通の土日」ぐらいの休日のほうが、「エオルゼア救済」が捗るようである。やたらと長い休みがいけないのである。ボクに罪はない。 さて、ここでは「FF14」にまったく関係のないゲームの話をしたいと思う。 最初は関係のないゲームの話ではあるものの、「FF14」のブログであるのだから、最終的には「FF14」の話になるのだし、「FF14」を言及するに必要な過程であるから語るのであり、必須なファクターなのである。ご了承されたし。 ボク自身が前から勝手に注目していたゲームがある。それが「オーバーウォッチ」(※ページはPS4版。PC版は日本語ページなかった。。。)である。この「オーバーウォッチ」がゴールデンウィーク中に「オープンベータ」を行っており、正直に申せば通常のゲームをする時間はそちらを興じていたという具合である。仕方ないのである。「期間限定」には魔性の響きがある。 「オーバーウォッチ」を簡単に説明すれば、個性豊かなヒーローを操り、ユーザー同士が6対6に分かれて対戦するFPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームである。 FPSというゲームジャンルは、特に欧米あたりのゲーム、ミリタリー性の強いゲームといったイメージが一般的にはあったと思う。特に「対戦」となると、プレイヤースキルや慣れ如何によっては、初心者はすぐに倒されてしまい、あまり楽しめないものでもある。 FPSはゲームジャンルとしての歴史も古く、その文化は醸成されてきた。今もなお、さまざまなFPSのゲームが発売され続けられている現状をみてもわかる通り、人気ジャンルのひとつでもある。 ボク自身もFPSは嫌いではなく、幾多のゲームを楽しんできた。そう、やってみれば楽しいのだ。しかし、「欧米ゲーム」や「ミリタリーもの」といった先行イメージがあるためか、日本では「コアなファン」というイメージを持たれやすい。こと、「対人戦」に関しては上記の理由もあり、敬遠される傾向にあった。 FPSの純粋な進化において、「グラフィック」や、より史実的に見せる「ミリタリー性」などが強化されてきた。そんな進化の過程において、まったく別ベクトルで進化し、大成功をおさめた作品がある。 そう、「Splatoon」である。 これまで、FPSがもつ「欧米感」や「ミリタリー性」をまったく廃し、FPSが持つ「純粋な楽しさ」のみを抽出した「カジュアルに楽しめる作品」として登場し、これまでFPSにあまり興味を持たなかった層にも響き、人気となった作品である。 もちろん、「Splatoon」がもつ「グラフィック」や「音楽」も素晴らしいのだが、これらは本質である「FPSのカジュアル化」を演出するためのものであり、やはり人気となったのは、そのシステム所以であろう。 これまでの「FPS対戦」では、ミリタリー性の高いものが多いため、倒す(キル)倒される(デス)が対戦結果のすべてであることが多かった。だが、「Splatoon」では「色を多く塗ったチームが勝ち」といった、単純な「キル」「デス」だけではないルールのため、「FPSに自信がない」人でも楽しめるようになっている。 確かに単純な「キル」「デス」も、勝負結果に間接的にかかわってはくるものの、倒されてもすぐにスタート地点へリスポーン(復活)され、すぐに最前線へ復帰できる。そして、あくまでも「主目的」は別にあるというコトが、「FPSのカジュアル化」の最大の要因なのだと思う。 また、よりFPSを「カジュアル化」するために、プレイヤー感のコミュニケーションは排除されている。これはプレイヤー間の「余計な軋轢」を生まないためだと感じる。唯一のコミュニケーション手段として、簡易型エモート「ナイス」と「カモン」が用意されているぐらいである。もちろん、このエモートに「ごめんなさい」などは無いのである。 ボク自身も「Splatoon」は相当遊んだのだけれども、「もう少し、個々に個性を出せないものか。やっぱりバランスが難しいのかな」と感じていた。この想いをかなえてくれそうなのが、前述の「オーバーウォッチ」なのである。もちろん、「オーバーウォッチ」でも、単純な「キル」「デス」とは違うところで勝負のルールがあるのだ。 FPSの新たな進化の形として、「カジュアル化」が現れたことも驚きであったし、それがウケたこともまた、今の時代を象徴しているのかもしれない。 では、「FF14」を含むRPGの進化とは何か。ここでは、「FF14」と同じ「オンラインゲーム」に限った話とさせていただきたい。 RPGの進化のひとつには「シナリオ」が挙げられる。「シナリオ」自体は「グラフィック」や「物語の重厚さ」など、これまでにも数多くの進化が行われてきた。 ただ、RPGの進化において、もっとも“顕著な違い”として表れてきたのは「バトル」の方ではないだろうか。これまでの単純な「コマンド選択」から、プレイヤー自身に「戦闘の爽快感」を与えるためのアクション性が増えてきているように思える。 このRPGの「アクション性のあるバトル」も「カジュアル化」しているように感じる。いつでも「始めて」いつでも「終われる」ように、「一人で完結」できるようになっている。例えれば「PSO2」や「黒い砂漠」などもそうであろう。 これらのゲームには、「FF14」のようなロールはない。好きなジョブなりを出して攻撃していれば良いのである。他者に明確な役割を求め、それしかできないというのは、とてもリスキーなコトである。 例えば「FF14」において、ボクは「モンク」なので「背面」や「側面」を狙わなければならない。だが、それができなかった場合、ボクのフラストレーションはどこへ向かうのか。「ボク自身の技量の無さ」か。「ゲームの難易度に対する開発側に」か。「きっちりと敵を固定してくれないタンクに」か。 その結果、コンテンツがクリアできなかった場合、パーティメンバーのフラストレーションはどこへ向かうのか。「自身の技量の無さ」か。「難易度の高いゲームを作った開発側に」か。「ダメージを出せなかったDPSに」か。答えは簡単な算数よりも明確な数式である。 「カジュアル化」されたゲームには、当然「ヒーラー」なんてロールは無く、HPが減れば「ヘルスパック」に類するものを各自で飲めば良いのである。「FF14」のポーションのようなリキャストの長さも無い。 なら、「FF14」も他と同様に「カジュアル化」されれば良いのか。ボクはそうは思っていない。 「カジュアル化」にも弊害はある。すべてがひとりで完結できるため、他者と関わる必要性がなくなる。「オンラインゲームなのに」である。 「オンラインゲーム」の醍醐味としては、まったく新しい人たちと関わりをもって新しい楽しみ方を創出する、できるところだと思っている。なので、それが「強制的」であれ、「他者と関わる要素」があるのは重要かなと思っている。 ただ、その役割を「次はもう会わないかもしれない」という刹那的な出会いに求めるのも酷なような気もする。そう、「コンテンツファインダー」は「バトル」が「カジュアル化」されて始めて成り立つものなのではないかと考えている。他者と関わり、依存しなくてはならないシステムなのに、その人間関係を醸成できないシステムが問題なのである。 ボク自身、こんなに「人間関係」の重要性を謳っておきながら、現時点でも「ソロ」である。それが良いコトだと思ってはおらず、前サーバーでは思い切って「PT募集」にある「FC募集」に飛び込んだコトが数度ある。 だが結局は、「PT募集」に書かれている内容しかわからないため、特に会話も盛り上がっておらず、話を振ってもあまり持たない。結局「こんばんは」「落ちますね」だけの会話を繰り返すのみである。こればかりは「人との相性」もあるのだから致し方ない。 そこで「新しいところを探そう」と思うが、一度入ったものを抜けるのにもまた心を砕く。それが「体験」であろうと関係ないのである。そういったことを数度繰り返す内に、疲れてくるのである。 それでも数度試したのは、「夜通しくだらないコトを話して盛り上がった」などの楽しかった成功体験という「甘い果実」の味を知っているからなのであろう。だが、その「甘い果実」を引き当てるには、相当の確率なのかなと思っている。 これが、「事前にFCの雰囲気を知っている」のであれば、話も違ってくるのではないだろうか。 古い話になるが、「FF11」ではレベル上げに相当な時間がかかった(当時)。それも、PTで狩らなければいけないため、他人といる時間も長かった。「バトル」自体もさほど難しいものでもないため、戦闘中にチャットでコミュニケーションも容易に取れた。 そんな長いPTのなかで、自然と冗談を言い合って、それに乗ったりツッコんだりしながら盛り上がり、「リンクシェル」に所属していないヒトであれば、「もしよかったらリンクシェルどうですか」となっていた。 冗談を言い合うなかで、「このヒト、ノリが良いから誘おう」となるし、誘われる方も「こんな雰囲気なら入っても楽しそう」となるのである。それが普通であった。 今の時代、FPSもRPGもスマホのソシャゲのように「カジュアル化」が進んでいる。もちろん、それ自体に関してはボク自身も大歓迎であるし、実際「FPSのカジュアル化」でもある「オーバーウォッチ」の発売を心待ちにしている。 だが、その「カジュアル化」では実現が難しいと感じる「オンラインゲーム」としての楽しさを演出するような、濃密な時間を過ごせるゲームが別にあっても良いかなと思っている。例として挙げた「レベル上げ」で長時間PTで拘束されるのは時代の流れと逆行しているのかもしれない。 しかし、あえて他者に依存する旧態依然の「オールドスタイル」であるならば、あえてゲームを進めていく過程において、多少遠回りをしてでも人間関係が醸成される仕組みが必要なのではないだろうかと思う。 その機能が、「メンター機能」だと思っていたのだが、いまだにチャットに誘ってもらえていない。ボク自身が醸し出す、「玄人感」でもあるのだろうか。。。 More from my site諦観の選択命の値段アニマウェポンを作る。職業の選択ブログ、移行完了の件。今更ながら、ヴォイドアーク。 Tweet Pocket Author: helio Shinryuサーバーで、ララフェル召喚士として、がんばると決めた! 「FF14 BLOG ANTENNA」の運営もがんばっちょりまっする! 2016年5月15日 0
劃期的カジュアライズ
随分と更新期間があいてしまったのではあるが、すべては「ゴールデンウィーク」が悪いのである。ボクに罪ははない。
では、「ゴールデンウイーク」は何をしていたかというと、部屋の片づけをしていたり、遊びほうけて家に帰ってこなかったり、体調を崩して寝込んだりと、実に充実した「人間活動」ではあったものの、「エオルゼア」を十二分に救えていなかった。
どうやら、ボク自身は「普通の土日」ぐらいの休日のほうが、「エオルゼア救済」が捗るようである。やたらと長い休みがいけないのである。ボクに罪はない。
さて、ここでは「FF14」にまったく関係のないゲームの話をしたいと思う。
最初は関係のないゲームの話ではあるものの、「FF14」のブログであるのだから、最終的には「FF14」の話になるのだし、「FF14」を言及するに必要な過程であるから語るのであり、必須なファクターなのである。ご了承されたし。
ボク自身が前から勝手に注目していたゲームがある。それが「オーバーウォッチ」(※ページはPS4版。PC版は日本語ページなかった。。。)である。この「オーバーウォッチ」がゴールデンウィーク中に「オープンベータ」を行っており、正直に申せば通常のゲームをする時間はそちらを興じていたという具合である。仕方ないのである。「期間限定」には魔性の響きがある。
「オーバーウォッチ」を簡単に説明すれば、個性豊かなヒーローを操り、ユーザー同士が6対6に分かれて対戦するFPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームである。
FPSというゲームジャンルは、特に欧米あたりのゲーム、ミリタリー性の強いゲームといったイメージが一般的にはあったと思う。特に「対戦」となると、プレイヤースキルや慣れ如何によっては、初心者はすぐに倒されてしまい、あまり楽しめないものでもある。
FPSはゲームジャンルとしての歴史も古く、その文化は醸成されてきた。今もなお、さまざまなFPSのゲームが発売され続けられている現状をみてもわかる通り、人気ジャンルのひとつでもある。
ボク自身もFPSは嫌いではなく、幾多のゲームを楽しんできた。そう、やってみれば楽しいのだ。しかし、「欧米ゲーム」や「ミリタリーもの」といった先行イメージがあるためか、日本では「コアなファン」というイメージを持たれやすい。こと、「対人戦」に関しては上記の理由もあり、敬遠される傾向にあった。
FPSの純粋な進化において、「グラフィック」や、より史実的に見せる「ミリタリー性」などが強化されてきた。そんな進化の過程において、まったく別ベクトルで進化し、大成功をおさめた作品がある。
そう、「Splatoon」である。
これまで、FPSがもつ「欧米感」や「ミリタリー性」をまったく廃し、FPSが持つ「純粋な楽しさ」のみを抽出した「カジュアルに楽しめる作品」として登場し、これまでFPSにあまり興味を持たなかった層にも響き、人気となった作品である。
もちろん、「Splatoon」がもつ「グラフィック」や「音楽」も素晴らしいのだが、これらは本質である「FPSのカジュアル化」を演出するためのものであり、やはり人気となったのは、そのシステム所以であろう。
これまでの「FPS対戦」では、ミリタリー性の高いものが多いため、倒す(キル)倒される(デス)が対戦結果のすべてであることが多かった。だが、「Splatoon」では「色を多く塗ったチームが勝ち」といった、単純な「キル」「デス」だけではないルールのため、「FPSに自信がない」人でも楽しめるようになっている。
確かに単純な「キル」「デス」も、勝負結果に間接的にかかわってはくるものの、倒されてもすぐにスタート地点へリスポーン(復活)され、すぐに最前線へ復帰できる。そして、あくまでも「主目的」は別にあるというコトが、「FPSのカジュアル化」の最大の要因なのだと思う。
また、よりFPSを「カジュアル化」するために、プレイヤー感のコミュニケーションは排除されている。これはプレイヤー間の「余計な軋轢」を生まないためだと感じる。唯一のコミュニケーション手段として、簡易型エモート「ナイス」と「カモン」が用意されているぐらいである。もちろん、このエモートに「ごめんなさい」などは無いのである。
ボク自身も「Splatoon」は相当遊んだのだけれども、「もう少し、個々に個性を出せないものか。やっぱりバランスが難しいのかな」と感じていた。この想いをかなえてくれそうなのが、前述の「オーバーウォッチ」なのである。もちろん、「オーバーウォッチ」でも、単純な「キル」「デス」とは違うところで勝負のルールがあるのだ。
FPSの新たな進化の形として、「カジュアル化」が現れたことも驚きであったし、それがウケたこともまた、今の時代を象徴しているのかもしれない。
では、「FF14」を含むRPGの進化とは何か。ここでは、「FF14」と同じ「オンラインゲーム」に限った話とさせていただきたい。
RPGの進化のひとつには「シナリオ」が挙げられる。「シナリオ」自体は「グラフィック」や「物語の重厚さ」など、これまでにも数多くの進化が行われてきた。
ただ、RPGの進化において、もっとも“顕著な違い”として表れてきたのは「バトル」の方ではないだろうか。これまでの単純な「コマンド選択」から、プレイヤー自身に「戦闘の爽快感」を与えるためのアクション性が増えてきているように思える。
このRPGの「アクション性のあるバトル」も「カジュアル化」しているように感じる。いつでも「始めて」いつでも「終われる」ように、「一人で完結」できるようになっている。例えれば「PSO2」や「黒い砂漠」などもそうであろう。
これらのゲームには、「FF14」のようなロールはない。好きなジョブなりを出して攻撃していれば良いのである。他者に明確な役割を求め、それしかできないというのは、とてもリスキーなコトである。
例えば「FF14」において、ボクは「モンク」なので「背面」や「側面」を狙わなければならない。だが、それができなかった場合、ボクのフラストレーションはどこへ向かうのか。「ボク自身の技量の無さ」か。「ゲームの難易度に対する開発側に」か。「きっちりと敵を固定してくれないタンクに」か。
その結果、コンテンツがクリアできなかった場合、パーティメンバーのフラストレーションはどこへ向かうのか。「自身の技量の無さ」か。「難易度の高いゲームを作った開発側に」か。「ダメージを出せなかったDPSに」か。答えは簡単な算数よりも明確な数式である。
「カジュアル化」されたゲームには、当然「ヒーラー」なんてロールは無く、HPが減れば「ヘルスパック」に類するものを各自で飲めば良いのである。「FF14」のポーションのようなリキャストの長さも無い。
なら、「FF14」も他と同様に「カジュアル化」されれば良いのか。ボクはそうは思っていない。
「カジュアル化」にも弊害はある。すべてがひとりで完結できるため、他者と関わる必要性がなくなる。「オンラインゲームなのに」である。
「オンラインゲーム」の醍醐味としては、まったく新しい人たちと関わりをもって新しい楽しみ方を創出する、できるところだと思っている。なので、それが「強制的」であれ、「他者と関わる要素」があるのは重要かなと思っている。
ただ、その役割を「次はもう会わないかもしれない」という刹那的な出会いに求めるのも酷なような気もする。そう、「コンテンツファインダー」は「バトル」が「カジュアル化」されて始めて成り立つものなのではないかと考えている。他者と関わり、依存しなくてはならないシステムなのに、その人間関係を醸成できないシステムが問題なのである。
ボク自身、こんなに「人間関係」の重要性を謳っておきながら、現時点でも「ソロ」である。それが良いコトだと思ってはおらず、前サーバーでは思い切って「PT募集」にある「FC募集」に飛び込んだコトが数度ある。
だが結局は、「PT募集」に書かれている内容しかわからないため、特に会話も盛り上がっておらず、話を振ってもあまり持たない。結局「こんばんは」「落ちますね」だけの会話を繰り返すのみである。こればかりは「人との相性」もあるのだから致し方ない。
そこで「新しいところを探そう」と思うが、一度入ったものを抜けるのにもまた心を砕く。それが「体験」であろうと関係ないのである。そういったことを数度繰り返す内に、疲れてくるのである。
それでも数度試したのは、「夜通しくだらないコトを話して盛り上がった」などの楽しかった成功体験という「甘い果実」の味を知っているからなのであろう。だが、その「甘い果実」を引き当てるには、相当の確率なのかなと思っている。
これが、「事前にFCの雰囲気を知っている」のであれば、話も違ってくるのではないだろうか。
古い話になるが、「FF11」ではレベル上げに相当な時間がかかった(当時)。それも、PTで狩らなければいけないため、他人といる時間も長かった。「バトル」自体もさほど難しいものでもないため、戦闘中にチャットでコミュニケーションも容易に取れた。
そんな長いPTのなかで、自然と冗談を言い合って、それに乗ったりツッコんだりしながら盛り上がり、「リンクシェル」に所属していないヒトであれば、「もしよかったらリンクシェルどうですか」となっていた。
冗談を言い合うなかで、「このヒト、ノリが良いから誘おう」となるし、誘われる方も「こんな雰囲気なら入っても楽しそう」となるのである。それが普通であった。
今の時代、FPSもRPGもスマホのソシャゲのように「カジュアル化」が進んでいる。もちろん、それ自体に関してはボク自身も大歓迎であるし、実際「FPSのカジュアル化」でもある「オーバーウォッチ」の発売を心待ちにしている。
だが、その「カジュアル化」では実現が難しいと感じる「オンラインゲーム」としての楽しさを演出するような、濃密な時間を過ごせるゲームが別にあっても良いかなと思っている。例として挙げた「レベル上げ」で長時間PTで拘束されるのは時代の流れと逆行しているのかもしれない。
しかし、あえて他者に依存する旧態依然の「オールドスタイル」であるならば、あえてゲームを進めていく過程において、多少遠回りをしてでも人間関係が醸成される仕組みが必要なのではないだろうかと思う。
その機能が、「メンター機能」だと思っていたのだが、いまだにチャットに誘ってもらえていない。ボク自身が醸し出す、「玄人感」でもあるのだろうか。。。
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