夜明け前 FF14 ふり返れば、約1年ぶりの更新である。 その間に何もしていなかったかといえばそうでもなく、「FF14」でいえば「FCに入ってみた」りもしている。 その間の記事に関しては、「書いては消し、書いては消し」あるいは「新規投稿を作っては、改めて新規投稿を作り直す」であったり、編集画面にはその“表現に対する苦悩と格闘する日々”と、その“残滓”が見て取れる。 今、読み返してみても「コイツ、何が書きたかったのか」を理解するには困難である。 そうこうしながらも、まっこと個人的な事情ではあるものの、仕事が忙しくなったのもあり、入るタイミングを見失いながら、離れてしまった。 「そのままフェードアウト」でも良かったものの、こうして改めて書いている理由は、ある時にふと「これまでに自分の書いたもの」を読み返してみたからである。 まあ、「ためになるコト」なんかは何ひとつ無きに等しいのだけれども、これらを書いていた時期の“情熱”や“想い”なんかには、容易に触れるコトができ、そのころの感情を思い起こさせる。 まあ、“情熱的な記事”なんてものは、ひとつも無いのだけれども。 それは“懐かしさ”などのノスタルジック的なものもそうだが、同時に“忘れそうになっていた何か”を、ボク自身のなかに再び呼び起こそうとする。 そのほとんどが、「酔っぱらって書いた」駄文であったとしても、である。 時間が開いてしまったという事実はもはや消しようもなく、これは良いようにとらえれば、いわゆるひとつの“区切り”である。単なる“怠慢”とも呼べるのだけれども。 純粋にFF14を始めたのが第一章だとすれば、ブログを始め[Shinryu]で新たな生活を始め、今に至るのが第二章になる。 自身のブログを読み返しながら「さて、次は何をしようか」と考えてみる。 「改めて新しいサーバーで、新しい人生を」とも考えた。「環境を変える」というのはとてもワクワクするものであり、ブログを始めたころの感情に立ち戻れるかもしれない。 しかし、同時に「結果、たいして何も変わらない」という現実も知っているから、非常に困ったものである。 「どうしたものか」と考えながらも、未消化であるメインクエストをポツポツと進める。 地図を見ながら目的地に向かい、「あぁ、ここ通れないのかあ。えらい回り道しないと」と思いながら迂回する途中、「あっ、飛べるんだった……」と気づくほどに忘れているのは、いかがなものか。 途中に、「蛮神戦」のクリアがクエスト達成条件となり、「装備をそろえないと」とマーケットをのぞく。 だが、「今の装備をそろえるために、お金使ったぢゃん。しかも、全部そろってもいないし……」と、さらなる問題にぶち当たる。 「生きていくには、お金が必要である」。この倫理は、現実でもゲームでも変わらない。 「今、金策ってなにすんだ?」と、思いながらいろいろ調べたりもするものの、「ギャザクラそろってLv.0」という、新たな現実問題にぶち当たる。 「これヤベー、いよいよヤベー。詰んでる……」と絶望しながらも、「なにかヒマつぶしはないか」と現実逃避という不純な動機でPT募集を眺めていた。 「いや、なんぞ! このBarの多さ! なんぞ!」と、まるで歓楽街がごとく、Barの営業告知が並んでいたのである。 「今はそういう遊びがはやっているのか」と考えながらも、「ヒマを持て余したボッチの人間が、ダラダラとクダをまく」にはちょうど良いと考えた。 「何事も体験である」と意を決し、入れるBarを探して飛び込んでみた。そこには多くのヒトがおり、騒がしくもにぎやかな光景が広がっていた。 確かに「楽しそう」ではあるものの、ボク自身が思っていたBarは、もう少ししみったれたものであり、「数人の知らない客同士が、どうでも良い話で盛り上がる」という、「ウェーイwww」系ではなく、会話がメインの場だったのである。 そんな楽しそうな喧噪を横目に、「そんな場所は無いものか」とグラスを傾ける。 「お前がやれ」という声も、当然ボクのなかでも響いており、「よし、家でも買ってみるか」と決意も新たに店をでた。 「ギャザクラ0の人間が、今さら金策を行い家を買う」という目標に、早くも挫折しそうである。 More from my site失敗と救済希望の光最終的採集開幕の狼煙演戯の役割個人的CF所感 Tweet Pocket Author: helio Shinryuサーバーで、ララフェル召喚士として、がんばると決めた! 「FF14 BLOG ANTENNA」の運営もがんばっちょりまっする! 2018年6月10日 0
夜明け前
ふり返れば、約1年ぶりの更新である。
その間に何もしていなかったかといえばそうでもなく、「FF14」でいえば「FCに入ってみた」りもしている。
その間の記事に関しては、「書いては消し、書いては消し」あるいは「新規投稿を作っては、改めて新規投稿を作り直す」であったり、編集画面にはその“表現に対する苦悩と格闘する日々”と、その“残滓”が見て取れる。
今、読み返してみても「コイツ、何が書きたかったのか」を理解するには困難である。
そうこうしながらも、まっこと個人的な事情ではあるものの、仕事が忙しくなったのもあり、入るタイミングを見失いながら、離れてしまった。
「そのままフェードアウト」でも良かったものの、こうして改めて書いている理由は、ある時にふと「これまでに自分の書いたもの」を読み返してみたからである。
まあ、「ためになるコト」なんかは何ひとつ無きに等しいのだけれども、これらを書いていた時期の“情熱”や“想い”なんかには、容易に触れるコトができ、そのころの感情を思い起こさせる。
まあ、“情熱的な記事”なんてものは、ひとつも無いのだけれども。
それは“懐かしさ”などのノスタルジック的なものもそうだが、同時に“忘れそうになっていた何か”を、ボク自身のなかに再び呼び起こそうとする。
そのほとんどが、「酔っぱらって書いた」駄文であったとしても、である。
時間が開いてしまったという事実はもはや消しようもなく、これは良いようにとらえれば、いわゆるひとつの“区切り”である。単なる“怠慢”とも呼べるのだけれども。
純粋にFF14を始めたのが第一章だとすれば、ブログを始め[Shinryu]で新たな生活を始め、今に至るのが第二章になる。
自身のブログを読み返しながら「さて、次は何をしようか」と考えてみる。
「改めて新しいサーバーで、新しい人生を」とも考えた。「環境を変える」というのはとてもワクワクするものであり、ブログを始めたころの感情に立ち戻れるかもしれない。
しかし、同時に「結果、たいして何も変わらない」という現実も知っているから、非常に困ったものである。
「どうしたものか」と考えながらも、未消化であるメインクエストをポツポツと進める。
地図を見ながら目的地に向かい、「あぁ、ここ通れないのかあ。えらい回り道しないと」と思いながら迂回する途中、「あっ、飛べるんだった……」と気づくほどに忘れているのは、いかがなものか。
途中に、「蛮神戦」のクリアがクエスト達成条件となり、「装備をそろえないと」とマーケットをのぞく。
だが、「今の装備をそろえるために、お金使ったぢゃん。しかも、全部そろってもいないし……」と、さらなる問題にぶち当たる。
「生きていくには、お金が必要である」。この倫理は、現実でもゲームでも変わらない。
「今、金策ってなにすんだ?」と、思いながらいろいろ調べたりもするものの、「ギャザクラそろってLv.0」という、新たな現実問題にぶち当たる。
「これヤベー、いよいよヤベー。詰んでる……」と絶望しながらも、「なにかヒマつぶしはないか」と現実逃避という不純な動機でPT募集を眺めていた。
「いや、なんぞ! このBarの多さ! なんぞ!」と、まるで歓楽街がごとく、Barの営業告知が並んでいたのである。
「今はそういう遊びがはやっているのか」と考えながらも、「ヒマを持て余したボッチの人間が、ダラダラとクダをまく」にはちょうど良いと考えた。
「何事も体験である」と意を決し、入れるBarを探して飛び込んでみた。そこには多くのヒトがおり、騒がしくもにぎやかな光景が広がっていた。
確かに「楽しそう」ではあるものの、ボク自身が思っていたBarは、もう少ししみったれたものであり、「数人の知らない客同士が、どうでも良い話で盛り上がる」という、「ウェーイwww」系ではなく、会話がメインの場だったのである。
そんな楽しそうな喧噪を横目に、「そんな場所は無いものか」とグラスを傾ける。
「お前がやれ」という声も、当然ボクのなかでも響いており、「よし、家でも買ってみるか」と決意も新たに店をでた。
「ギャザクラ0の人間が、今さら金策を行い家を買う」という目標に、早くも挫折しそうである。
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